旅館長 天野 清次さん

西山温泉蓬莱館

「ホンモノ」の温泉を守り続けて

天野 清次

西山温泉蓬来館
天野 清次さん
Kiyotsugu Amano
1935年2月3日生

居住地 :早川町湯島
出身地 :早川町湯島
性格 :とんまでまぬけ
好きな言葉 :気配りと思いやり。そして生き抜くための知恵を身につける。
事に当たっては、細心大胆
趣味 :スポーツ
早川町で一番好きなところ :四季の変化が素晴らしい
 春・・・春の息吹を感じる。山ツツジなど点々として美しい花模様を描き出している。
 夏・・・暑さ知らずの山中。おいしい水、澄んだ空気と夜の星空。
 秋・・・紅葉の山の木々。枯れ葉を踏みしめながら、そぞろ歩きも捨て難い。
 冬・・・真っ白い装いをした山を眺める。山が引き締まって見える。
職種 :館長

蓬莱館の「トンマ」で「マヌケ」な男

82歳でも元気に働く天野さんが、今ではたった一人で経営している蓬莱館。そこに入ると、天野さんが少年のように屈託のない笑顔で出迎えてくれます。自称「トンマ」で「マヌケ」という親しみやすい性格にホッとするのか、温泉の魅力があってか、蓬莱館には常連客が多くいます。天野さんが営む蓬莱館は、どのような宿なのでしょうか。

そもそも蓬莱館は天野さんの父が経営していました。天野さんは次男だったため跡取りになるつもりはなく、大学卒業後は東京の貿易会社に就職します。しかし、天野さんが24歳の時、歴史に残るほど大きな台風が山梨県を襲い、早川が氾濫しました。跡取りになるはずだった兄は怖くなり、早川町から出て行ってしまいます。その代わりに天野さんが呼ばれて、父の跡を継ぐことになりました。

旅館の日々の仕事で忙しくなりながらも、天野さんは「学び続ける姿勢」を大切にしてきました。旅館を営む上で必要な旅行の知識を得るため、たくさん旅行に出かけました。世間で海外旅行がブームになった頃には、毎年、従業員全員を連れて海外研修旅行へも行きました。そうすれば、お客さんとの会話も盛り上がると考えたのです。また、日頃の従業員への感謝の気持ちを込めてと旅行資金は奥さんが自腹で用意してくれたため、従業員との信頼関係も強くなり、より旅館業が円滑に進むようになりました。また、蓬莱館に来る前の貿易会社で学んだことも蓬莱館における仕事に活きています。貿易会社では、「生き抜くために他の人がやらないことを進んでやろうとすることが大事である」ということを学びました。

そこで学んだことにより、蓬莱館は現在も湯治客を優先しています。時代の流れで、世間が温泉に求めるものは「湯治」から「観光」へと変化していきました。そのような時代の中、蓬莱館は、湯治客を優先した旅館のままの営業を続けているのです。その理由は、天然そのものの蓬莱館の温泉を本当の温泉好きのお客さんに入って欲しいという思いがあったからです。

もちろん、天野さんは、蓬莱館の温泉に絶対的な自信があったからこそ、そのような判断ができました。

「ホンモノ」の温泉

その昔、医者に診てもらうことが難しかった頃は、温泉での湯治は重宝されていました。かつて湯治のお客さんがわざわざ自炊をしてでも長期で宿泊していたのは、その温泉に病を治療しうる効力があること、つまり、自然の恵みがあることを知っていたからです。そのようなお客さんは天野さんから見れば、「ホンモノ」の自然の力を知っているお客さんともいえます。そのような「ホンモノ」の温泉にお客さんに入って欲しいという思いで、一人になった現在も経営しています。

それだけではなく、蓬莱館は、ただ温泉で治療の場を提供するだけではなく、季節の移り変わりを告げる、湯花を楽しむことができるという魅力もあります。秋から冬、冬から春の節目には大きな湯花が出てきます。天野さん自身、この季節の節目に出てくる大きな湯花を見ることを楽しみにしています。また、蓬莱館は、日本で唯一オレンジ色の湯花を見ることができる貴重な温泉でもあります。

蓬莱館の宿泊客や日帰り客が出入りすると、天野さんはお客さんと楽しそうに会話をします。お客さんとの会話ははずみ、対等に話し合います。蓬莱館に「愛」と「誇り」を持っている天野さんだからこそできる接客なのであります。蓬莱館の「ホンモノ」の温泉に心底惚れ込んで来るお客さんを大事にしているのであります。

編集サポーター

蓬莱館石橋弘之さん(早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員)
角田一樹さん(早稲田大学人間科学部 学生)


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